『アマゾンとアンデスにおける一植物学者の手記』〈上〉〈下〉

リチャード・スプルース【著】;アルフレッド・R.ウォレス【編】;長沢純夫;大曾根静香【訳】築地書館
上【bk1/amazon.co.jp】/下【bk1/amazon.co.jp】各6,000
【上巻】
博物学が栄光の時代を謳歌した19世紀の中葉、ウォレスとベイツの後を追って、1849年にアマゾンに入った英国出身の植物学者リチャード・スプルースは、下アマゾン河からリオ・ネグロ川、オリノコ川の上流域を6年間にわたって探検し、膨大な数の熱帯の植物を採集、あわせてインディオの生活を克明に記録した。1855年、転じて上アマゾン河経由でペルーのタラポトに入り、さらにエクアドルに到達。アマゾンの平原とはまったく異なるアンデス太平洋岸の過酷な気候と急峻な山岳地帯のなかにあって植物の研究を続け、南アメリカの植物にかんする情報を故国に送った。
パラと赤道の森;アマゾン河遡行、最初の居住地サンタレンへ;オビドスとトロンベタス川への旅;サンタレン滞在―植物と住民の観察;下アマゾンの地質とサンタレンの植物相;サンタレンからリオ・ネグロ川へ;マナウスにて―下リオ・ネグロ川の原生林の調査;リオ・ネグロ川遡行、サン・ガブリエルへ;サン・ガブリエル周辺の急湍と山岳樹林;ウアウペス川の急湍と未踏の森への探検旅行;サン・カルロスと上リオ・ネグロ川の丘陵;フンボルトの国で―カシキアーレ水道、クヌクヌマ川およびパシモニ川遡行の旅;オリノコ川の急湍へ、そしてサン・カルロス帰還;サン・カルロスからマナウスへ―リオ・ネグロ川下航の旅
【下巻】
スプルースはさらにマラリアの特効薬キニーネを生産するアカキナノキの種苗をあつめて東洋の熱帯地方に送り、異国の地におけるプランテーションの開設にもつくした。1864年帰国。本書はこの15年間に書き残された日記、書簡、覚書のたぐいが、その没後、アマゾン以来深い親交のあったウォレスによって編纂され、1908年にロンドンで出版された愛と追憶の古典である。植物採集探検の記録だけではなく、異国の地で書かれた、「アマゾンの岩絵」「インカの秘宝」「アマゾンの女戦士」などの小品も収録。巻末には上下巻あわせた詳細な索引も併載。

ソリモンエス川遡行二四〇〇キロメートルの旅―バーラからペルーのタラポトまで;ペルー領東アンデス探検、あわせてタラポト滞在;タラポトからカネロスまでの小船によるボンボナサ川遡行の旅;カネロスの森を抜けてバニョスへ;エクアドルアンデスの植物採集調査旅行と登攀;アンバトとアラウシのキナ樹の森;チンボラソ山西側斜面のエル・リモンのキナ樹の森;太平洋の海岸地方―スプルースの南アメリカ滞在最後の三年間;アマゾンの植生と動物の渡り;植物の構造を変化させる蟻;アマゾンのインディオが使っている土産の向精神薬と興奮剤;アマゾン河の女戦士とその歴史的考察;リオ・ネグロ川とカシキアーレ水道で見られるインディオの岩絵;インカの秘宝
【著者情報】
リチャード・スプルース:1817‐93。英国ヨークシャーの寒村ガンソープ生まれの植物学者。数学教師を務めながら幼少のころからの植物への関心を育み、とくに蘚苔類の専門家となる。1845〜46年、フランスのピレネーで採集。49年には南米大陸に植物を求めてアマゾン河に渡る。下アマゾン河からリオ・ネグロ川、オリノコ川を遡行、カシキアーレ水道の錯綜部を探検。生涯深い交わりを結ぶこととなったウォレスとはこのとき出会う。55年、転じて上アマゾン河を遡行、ペルーのタラポトにいたる。58年にはさらにエクアドルのアンバトに居を移し、ここを拠点にアンデス山系の調査探検に従事する。この間マラリアの特効薬キニーネの採れるアカキナノキの種子、苗木を集めて東洋の熱帯地方に送り、プランテーションの建設に貢献。64年帰国。その後は故郷のヨークシャーで研究生活を送り、93年病弱のうちに七七歳の生涯を閉じる
ルフレッド・R.ウォレス:1823‐1913。英国ウェールズのウスク生まれの博物学者、生物進化論者、社会思想家。1848年、種の起原の解明を意図してブラジルに渡り、下アマゾン河からリオ・ネグロ川流域を四年間にわたって調査探検、52年帰国。54年転じてマレー群島に赴き、62年まで動植物の採集と観察をおこなう。58年、テルナテの僻村で自然淘汰による生物進化の理論を着想、いわゆる「テルナテ論文」をダーウィンに送って『種の起原』の発表の糸口をあたえた。また、バリ、ロンボク二島を隔する動物分布の境界線を発見してウォレス線の名を残した。帰国後は定職が得られぬままに1913年、九〇歳一〇カ月の生涯を閉じるまでに、膨大な著書、論文を公にし、晩年の論説は社会問題にもおよんだ。スプルースの遺稿の編纂は八五歳のときの仕事である
 すげー面白そうだった。高いけど。