『セルバンテスの思想』

叢書・ウニベルシタス カストロアメリコ【著】;本田誠二【訳】法政大学出版局
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セルバンテスを覆っていたスペインの“栄光の神話”を引きはがし、ヨーロッパ的知性の文脈に位置づける。
第1章 文学的指針;第2章 表現された現実に対する批判と表現者;第3章 文学的主題としての“過ち”と“調和”;第4章 神の内在的原理としての自然;第5章 その他のテーマ;第6章 宗教思想;第7章 道徳観;第8章 結論
カストロアメリコ:1885‐1972。ブラジル、リオ・デ・ジャネイロにてグラナダ出身の両親の間に生まれる。グラナダに戻った後、グラナダ大学哲文科に入学し、そこを卒業してからフランス、ソルボンヌ大学に留学(1905‐1908)。帰国後、メネンデス・ピダルの指導の下、「歴史学研究所」の語彙部門の統括者となる。マドリード中央大学で言語史の授業を担当。さらにアルゼンチン、ブエノス・アイレスにおいて「スペイン言語研究所」を設立し、そのかたわらラテンアメリカ諸国の多くの大学で積極的に講演活動を行う。ベルリン大学客員教授として教鞭をとった後、共和国政府から、ベルリン大使に任命される(1931)。スペインに戻ってから、マドリード大学でフランス文学を講じ、かたわらで教育行政にも携わる。「歴史学研究所」の機関誌『ティエラ・フィルメ』を創刊。ポワチエ大学から名誉教授、ソルボンヌ大学から博士号を授与される。内戦勃発を機に、アルゼンチンに亡命(1936)。翌年からほぼ30年間をアメリカ合衆国に移って、諸大学で教鞭をとる。ウィスコンシン大学(1937‐1939)、テキサス大学(1939‐1940)、プリンストン大学(1940‐1953)を経て退職。1953年にプリンストン大学名誉教授。ヨーロッパ諸国を講演した後、カリフォルニア大学に迎えられる(1964)。晩年(1968年以降)はスペインに居を定め、1972年7月25日、ヘローナにて心臓麻痺にて死去